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古代中国の文化の内に唐の玄宗の時代、書籍を四庫と云われる分類法により区分されていましたが、その一つ「集部」の技術書にあたるものです。 四庫は 経−経書総典 史−歴史 子−哲学思想 諸子百家 集−それ以外のジャンルの文芸、芸術技術などを集めたもの (この四部に大別して保存した庫、その書籍を四庫全書と言います) 五術はこの中の技術書でありましたが、一般的に理解されない分野であったため、緯書的(注)な扱いとなって、広く世の中に伝わりませんでした。 注:緯書(いしょ)ー経書(けいしょ)(四書五経)に対して経書に付記して禍福・吉凶・符瑞(ふずい・・・めでたいしるし)の予言を記した孔子の作と云われる書物。のちに禁書となり、現代には佚文(いつぶん・・・散ってしまった一部分のみ残った文章)を伝えるのみになっています。
次に、参考文献として 「継善編の研究」 阿藤秀夫/小山眞樹代 共著より
阿藤先生の「五術とは」の部分を以下にご紹介しましょう。
五術とは、一般に日本では、聞き慣れない言葉でありますが、中国の表化形態の特殊性を構築するのは重要な位置を占めていると考えられます。従来の日本の中国の学術術究は、このジャンルを軽視蔑視して、迷信として学術大系から外し具体的な研究が行われることはありませんでした。中国内歴史的史料は、四庫全書の名称に代表されますが、四庫とは、四部のことを指し、経、史、子、集を表します。つまり、経は経典、史は歴史、子は哲学思想、集は前記以外のジャンルを指し、文芸、芸術、技術書等の類を集めたものであります。
五術とは、四庫の分類法における集部の技術書なのであります。 従来日本が行った歴史的に残った開かれた学問のみを術究し、閉じられた学問を研究しないというのは、非常にナンセンスであるといえるでしょう。現実に経、史、子部は、開かれた学術であり、誰でもそのジャンルに触れることができます。しかし、集部の特殊なジャンルは、閉鎖した学術であり、まして古典のものに関しては、非常に研究が困難であるといえます。五術の源流は、子部の諸子百家の中の術数家のジャンルとして現在でもその歴史的資料を学ぶことができます。 過去の権威盲従の術究者が五術を迷信と断定しましたが、実際には彼らの手に負えないものだったと言い方を変えるべきです。学術研究の基本である占術書の版本の考察すら今まで行われていなかったのであります。筆者の研究は、中国で絶え失われた学問を復興させるひとつの運動となったことは確かです。筆者は、このジャンルの重要性と社今的価値を見出し、再評価するには今がよい時期であると考えています。 なぜなら、五術の扱う分野は、時代に左右されることがない、現実のなまの人間の解釈にあるからです。その人間の現実を解釈するために体系されたシステムを持つ一種の技術 と言ってよいでしょう。そして、そのテーマは、人の運命、人の幸せ、人の成功、家庭の安定、社今の平和(民の幸せ)を目指しているのであります。 人の誕生する時をもって、その人の運命を解釈して行くもの。物事が発生する現象が未来においてどのように変動するのか、それに対してどう対処したらよいのかという疑問を正しい選択に導くもの。 物体(人の容姿や家のデザイン、土他の形態)を観察することで、その本質を究明するもの。これがつまり、五術の体系の中の命、卜、相なのであります。この他に中医、山を加えて五術と称するのであります。この五術の体系は喩えるなら建築物のように上下縦横の関係が連鎖しているのであります。 これは今まで開かれることがなかった中国の家に伝わる「家学」であったのです。 閉じた学問は、開くことで開かれた学問として開示されるのです。そしてこれが五術の学術術究の出発点となるでしょう。 |
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